セッション 映画

映画・セッションの感想・ネタバレあらすじ

セッション
セッションがとても面白かった。
正直言うと、はじめのうちはこの教師に反発を覚えながら見ていました。
どんなに偉い先生だか知らないけれど、そんなパワハラみたいな教え方には共感できないね、と。

確かにあの教え方に耐えられて順調にいく奴は相当な腕前だろうけど、
それは別にこの教師に教えられなくても優れた才能を持ち合わせていたのではないか?
あんなパワハラしなくても上手い人は上手いはずだ、と。

そして中には、本当は優れた音楽家になるはずが、こんなパワハラ指導の
プレッシャーに耐えきれずに潰れた人や嫌気がさして別の道に進んでしまった人だっているかもしれない。
こんな教え方はおかしいよ、と見ている間思っていました。

でもこれは自分が音楽家ではないからそう思うのだろうか。
音楽家なら、たとえ理不尽な教師だとしても一級の教師にレッスンをつけてもらいたい、
と思うのが普通なのだろうか。
理不尽なことなんて音楽の世界では日常茶飯事だ、これもその一つにすぎない、別に問題ない。
そういう考え方もあるのだろうか、などといろいろと考えさせられました。前半は。

そして、映画は主人公の青年が激しいストレスにさらされ、異様な世界の中で
徐々に壊れていく様を描いていく。

教師の言うことは絶対だ。手にマメができ、それが潰れて血まみれになりながらも
激しい練習を繰り返す。

元々いたドラマーを追い越し、自分がレギュラーメンバーに選ばれると有頂天になり、
自分のライバルが現れると自分が手に入れた地位を奪い取られないような気になって
必死になって練習し、相手がミスると喜び、自分よりうまく叩くと嫉妬する。

もう完全に教師に洗脳された主人公には全く別の異常な世界が見えていたのかもしれない。
そしてその異常さが頂点に達する瞬間が、あの交通事故の場面です。

車に追突されながらも、演奏会場に遅れてはならないと怪我をし、
血まみれのまま必死に這い出し、朦朧としながらも会場へ向かって走る主人公。

そして血まみれになりながらも大丈夫です、と演奏会の舞台に立ち、
意識が朦朧となりながら、演奏会をぶち壊してしまう。
その瞬間、洗脳の魔法が解けたのでした。

ここまでの数分間はもう圧倒的な緊張感、洗脳された主人公の目線で見た異常な世界に
観客もすっかりはまることになります。

私は、このシーンがこの映画の最高潮だったと思います。
もちろんラストの主人公の演奏は白熱していてすごいと思ったのですが、
あの交通事故からの一連のシーンは完全に我を忘れて見入ってしまいました。
本当に見事な演出だったと思います。

さて、魔法が解けた主人公は凄まじい戦場から離脱した負傷兵のように緊張の糸が切れ、
自分がいかに異常な世界に置かれていたのかを客観的に振り返ることになります。

そしてあの教師との再会を機に物語は信じられない方向へと進んで行きます。

この展開は予想外のものでした。
自分の演奏会をそんな目的のためにぶち壊す奴がいるのだろうか?
と思いつつ、むしろこれこそが監督の描きたかった物語なのだと気付きました。

もう一度最初から見れば分かるのですが、二度目に見る時はあの音楽教師の「魔法」はありません。
全てが分かった状態で見始めるので、あの教師の一挙手一投足が、
完全に計算ずくのものだと分かるのです。

いかに自分を圧倒的な教師に見せるか?
どうすれば生徒たちを抑えつけることがことができるのか?
長年にわたって研究され完成したのがあの教室に時間ジャストに入ってきてからの
一連の動作です。ちょっと儀式めいてさえいます。
(魔法にかかったままの)生徒たちの緊張した面持ちが可哀相でもあり、むしろ滑稽でもあります。

こんなに一度目と二度目の見方ががらりと変わる映画もめずらしいのではないでしょうか?

とにかくあの交通事故から演奏会への一連のシーンだけでも見る価値があると思います。
観客が映画とまさに一体になり、一瞬、魔法に掛かってしまう瞬間を味わえるはずです。

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